SSブログ

スイートリトルライズ [小説(ミステリー以外)]

江國香織の『スイートリトルライズ』を読みました。

スイートリトルライズ好きな作家、というのはたくさんいますが、その中でも
あたしにとって江國香織は別格です。

というのも、
ストーリー構成のうまい作家はたくさんいる。
登場人物をリアルに、
あるいはその心情をリアルに描ける作家もたくさんいる。
でも、江國香織ほど日本語をきれいに、かつ誠実に使う作家は、
あたしはこれまで見たことがない。
あたしは江國香織を読むまで、日本語がこんなにすごいものだとは思っていなかった。

江國香織がよく使う「安全」という言葉。
大多数の人にとって、
「安全」という言葉を使うのは事故や災害などに関連する話をするときのみであって、
通常の生活を描写するときには使われない。
なのに江國香織の小説あるいはエッセイの中では、
「安全」という言葉が、あたりまえのように日常と関連して使われる。

初めて江國香織を読んだときに衝撃的だったのは、
そういう言葉の使われ方。
言葉のひとつひとつが、
これまであたしが使ってきたのとは全く違う意味を、そして重さを帯びてる。
でもそれは不思議と、その言葉本来の、正しい使い方のように感じられて…。
誠実な言葉の使い方、
っていうのはこういうことだ、と思って、
そんな風に言葉を使える人がいること、それ自体が本当に衝撃的だったのです。

そしてまた、江國香織の使う言葉は、
言葉の意味の重さ、あるいは軽さ、が
まさにそのとおりの重質をもって伝わってくる、感じがする。
正確には、
その言葉が本当にそのとおりの重質感をもっているように錯覚させられる。
たとえば、
あたしはどちらかというと、平穏無事な毎日よりも、刺激のある生活の方を好むのだけど、
それでも、江國香織の本を読んでいると、
「安全」とか「安心」とか、そういう言葉の重さにつられて、
安全な生活が一番ステキなことのように思えてくる。

これが、ずるいなぁ、と思う。
だって、上にも書いたように、
江國香織の誠実な言葉の使い方は、それがその言葉本来の正しい使われ方だと思わせる。
なのに、言葉の意味の重さを操れるだなんて。
ずるいなぁと思う。

で、なんだかここまで長くなってしまったけど、
『スイートリトルライズ』。
ストーリーが好き。主人公の淡々とした性格も好き。
でも、せっかくここまで言葉について書いたから、ここでもやっぱり言葉について。

この本で一番気に入ったのは、
「春夫は注意深く言葉を選ぶ。注意深く、そして清潔に。清潔とはつまり、手垢にまみれていないということだ。」という一節。
清潔とは「手垢にまみれていない」こと、
なんて表現!
そして、それを、言葉の選び方の形容として使うなんて。
その感性、あるいはセンスがすごい、と思う。

江國香織の本は、もう20冊以上も読んでいるのに、
毎回必ず、その言葉のセンスにびっくりさせられます。


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。