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麦ふみクーツェ [小説(ミステリー以外)]

いしいしんじの『麦ふみクーツェ』を読みました。

麦ふみクーツェこの前『ぶらんこ乗り』を読んで、
いしいしんじ、という作家が気になってたから。

で、『麦ふみクーツェ』を読んでみて。
この人の本は、本当に、不穏当。
文章の書き方は穏やかなのに、
内容は全然、穏やかじゃない。
ストーリーが始まったときから、
どんどん、どんどん、加速度的に、不穏な感じが高まってくる。

でも最後はハッピーエンド。
というか、イイ終わり方。安心できる終わり方。
いしいしんじの描く物語は、パンドラの匣みたい。

この本の中で気に入ったのは、クーツェの言う
「いるといないとは、距離のもんだい。」
あるいは「ちいさいおおきいは、きょりのもんだい。」
というセリフ。

つまりは、見方の問題。

たとえば、「ふつう」という言葉。
ふつうかどうかは、見方の問題。
人はみんなある意味では「ふつう」だし、ある意味ではみんな「異常」。
特定の人を見て、どちらだと判断するかは、その人の見方しだい。

そしてクーツェの言う
「いいこと? わるいこと? みんな同じさ、麦ふみだもの。」
というセリフ。

これは、本の中では「きょりのもんだい」とは違う箇所、
つまり、別の話で出てくるセリフなのだけど、
これだって、きっと、つながってる、と思う。
いるろいないとは、距離の問題。
小さい大きいは距離の問題。
それは見方の問題。
ならば、どちらがいいこと、とかどちらが悪いこと、とは一概に言えない。
みんな同じ。

それから、よく言えば個性的な、悪く言えば「変な」登場人物たち。
音楽にとりつかれた祖父、素数にとりつかれた父、とびぬけて大きなからだをもつ主人公、
目の見えないボクサー、同じく目の見えないチェロ弾き、色盲の女の子…。

登場人物にしろ、クーツェのセリフにしろ、
この本は、
「ジョーシキ」とか「ふつう」というパラダイムを、突き崩していく。
「みんな同じ」という論理で。

ただ、「みんな同じ」も、他の言葉と同様、いいもわるいもない。
同じだからいいとか、同じだからわるい、なんてない。

そういう、あらゆるものを相対化できるこの言葉。
あたしは結構、お気に入りです。


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