SSブログ

神のロジック 人間のマジック [小説(本格ミステリー)]

西澤保彦の『神のロジック 人間のマジック』を読みました。

神のロジック 人間(ひと)のマジック文庫版の表紙を見て初めて知ったのだけど、
このタイトルって、英訳だと
"Logic of God is Magic of Human" 
だったのね。
「is」!!
本書の内容とぴったり。
まさに、これはそういう本です。

さて、文庫の解説者である諸岡卓真は、
この作品の第一のテーマは「妄想と現実」である、と述べています。
別の箇所では「妄想=現実」という言葉に「ファンタジー」というルビをふっています。
絶妙な要約&絶妙なルビ。

本書を通じた一貫したテーマは、
現実だと思っているものは、案外、実は妄想に支えられている、ということ。
それは登場人物に限った話ではなく、
読み終わった後は、(解説にもあるように)読者である自分自身さえ、
そうしたテーマの中に巻き込まれていたことに気づくはず。

でも、あたしたちの生活というものは、
ある意味では、常にファンタジーによって支えられているはず。

あたしの尊敬する社会学者は、
「人が本当に理解し合うことなどありえない」と言います。
だって、人はみんな違う人間だから。
でも、理解し合うことがないのなら、コミュニケーションなんてしても意味がないハズ。
それなのに、世の中はコミュニケーションだらけ。
これはなんなのか。
なぜ人はコミュニケーションしていけるのか。
なにがコミュニケーションを可能にしているのか。
そういう研究をした人です。

で、その「コミュニケーションを成り立たせているもの」、
あたしの理解では、
それはたぶん、ファンタジー、と似たようなもの。
共同幻想、とか、そういうもの。

「人は互いにわかり合える」と信じること。
あるいは、相手の気持ちをわかった「ふり」をすること。
そして、相手がわかったふりをしていることを、わかっていながら、
本当にわかってもらったかのような態度で振る舞うこと。

そうやって、人は自ら積極的にファンタジーに参加して、
コミュニケーションを続けていくのだと思います。

だから、あたしたちは、
誰かとコミュニケーションをとるときには、つねに、
何らかのファンタジーの上に立っている。何らかのファンタジーを共有している。

ただ、それは日常的すぎて、
きっと、ふつうに生活している上では、なかなか気づくことはできない。

『神のロジック 人間のマジック』の怖いところは、
非日常的なストーリーをとおして、
実は、そうしたあたしたちが日常的に共有しているファンタジーを浮き彫りにする、
そうした点ではないかと思います。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。