DEATH NOTE [マンガ]
数日前から実家に帰ってきています。
で、弟の部屋にあったので、
今更って気もするけど、『DEATH NOTE』を読みました。
感想は、この前の『塩狩峠』の続きのようだけど、
「誰かのため」だと思ってする行為は、
結局のところ自己満足のためだと考えることが、やっぱり必要なのではないかしら…。
というのも、
『塩狩峠』のときは偉そうに「人のための行為は結局は自己満足のためだ」と書いたのだけど、
実際のところ、あたしはそんなに心が広くないので、
「誰かのため」に行為するときには、多かれ少なかれ、その行為への見返りを求めてしまいます。
でも、その行為が必ずしも他者に受け入れられるとは限らない。
受け入れられたとしても、見返りがあるかどうかはわからない。
それなのに、相手に受け入れられないと「わかってくれない他者が悪い」と思ったり、
見返りがないと「こんなによくしてあげたのに、それに報いることのない他者は恩知らずだ」と思ったりしがちです。
そういう考え方は、自分だけがイイ人間だとか、
自分の考えを何も理解しない他者は見下してもいい…みたいな考えにつながりがちで、
あたしの価値観からすると、よくない…というより、
かっこわるい。
で、だからあたしは、なるべくそういう考え方をしないように、
自分の行為はすべて「人のためではなく自分のため」と思うように努力しているのだけど。
『DEATH NOTE』もそんな感じ。
主人公は「みんなが安心して暮らせるために」DEATH NOTEを使っているつもりだろうけど、
それはその手段が反社会的であることも手伝って、
すべての人々には受け入れられない。
なのに、受け入れられないのはその人々が悪いと他人を見下して、
自分こそが正義だと信じて、自分が世界の神になろうとする。
『DEATH NOTE』は結局、セオリーどおりに「正義は勝って悪は負ける」図式で終わるわけだけど、
あたしとしては、「悪」である主人公の気持ちに共感できるところが多く、
——というより、
主人公の指向性の多く(慢心とか権威志向とか、似非リベラルなところとか)は、
あたしが常々、何とかしたいと思っている自分の嫌なところばっかり——
結末はなんだか痛々しく感じました。
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