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ブラッドタイプ [小説(ミステリー以外)]

松岡圭祐の『ブラッドタイプ』を読みました。

ブラッドタイプ血液型性格判断、
一番最近に流行ったのは2年くらい前だったのかな。
あのときのテレビは、朝から晩まで、どのチャンネルを回しても、ひたすら血液型、血液型…。
周りはそれなりに楽しんで見ていたようだけど、
あたしは当時、差別問題に関する論文を書いていたせいもあって、
こうした血液型性格判断がこれまで以上にステレオタイプを強化して、
新しい差別として機能してしまうことを懸念してました。
実際は、そうなる前にブームは沈静化したのだけど。

でも、『ブラッドタイプ』!
人々が何の科学的根拠もない血液型性格判断を無条件に信じ込み、差別化が進んでいく様相は
はっきり言ってバカバカしいのだけど、
血液型性格判断がブームになった当時、あたしが心配していたのは、
まさにこうした事態だったのだと思いました。

あたしは占いや性格判断というものをふだんからまったく信じません。
だって、人はいろんな人がいるからおもしろいのに、
それをたったの数パターン(多くても数十パターン)に分類するなんて、強引すぎる。
それに、占いや性格判断はステレオタイプを促進する。
あたしは自分の星座や血液型を言うと、たいていの人に「うそ?!」と言われるけど、それがとても不愉快。
あたしの星座や血液型は、あたしが決めたわけではないし、
その星座や血液型のステレオタイプ化された振る舞いを引き受けるか拒否するかはあたしの自由なはず。

でもこれだとなんだか、占いや性格判断が嫌いってだけの話な気もするので、
もう少し真面目な話も。
あたしはそもそも性格なんて存在しないものだと思ってます。
「性格」と呼ばれるなんだかよくわからないものはあるけど、性格自体はない。
『ブラッドタイプ』にも、
性格というものは非常に流動的で、状況や場面、相手によって変化するものだ
…というような記述があるんだけれど、
あたしもそう思います。
で、そんなに流動的で形の定まらないものであるならば、
それはもはや「性格」という一語で囲い込む必要はないんじゃないかと思うのです。
だって、そうした流動的なものとしての「性格」という表象は、
つまりは「その人そのもの」を表象しているのと何も変わらないもの。
そうすると、性格判断なんてものは
「性格」を流動的に捉えることはできないし、
人の数だけあるはずの「その人そのもの」の特性をたった数種類のカテゴリーの中に押し込める役割しか果たさない、
という意味で、百害あって一利なしじゃん、と思うのです。


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kazutoshi

僕はたまに血液型を訊かれて答えると「へぇ~」とか「納得」と返されます。
今思ってみるとTVでよくやってたそういう番組は「数字」取りでしかないのかな
と思ってます。マスコミの力は恐ろしいと感じました。
話題から脱線してしまいましたが「ブラッドタイプ」見てみたいとおもいます。
長文 乱文すみませんでした。  ではでは
by kazutoshi (2006-08-21 22:00) 

mia

たびたび見に来ていただいてありがとございます☆
『ブラッドタイプ』は、それ一冊でもおもしろいけど、松岡圭祐の『千里眼』・『催眠』・『ニュアージュ』シリーズのなかの一作品になっているので(3つのシリーズの主人公が初めて共演してる)、それらの作品(…といっても、もう20冊くらい?出てるので、全部読むのは大変なんだけど)を読んでいると、おもしろさ倍増です。
by mia (2006-08-22 23:18) 

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